「2018年05月」の記事一覧
働くこと
今日も快晴!
どこからこんなに人が来るんだ??
というほど加太はヤバいほどの人で溢れていました。
フェイスブックの{過去のこの日}を覗くと
毎年「ゴールデンウイーク終盤!」から書き出す投稿が。
ああ、この時も必死やったわ。
一年早いなぁと改めて思う。
昔、ある社長さまから
「旅館の娘として生まれたのなら家業に従事することはそれなりに諦めもあり、頑張らないといけない理由がある。
でも女将さんは嫁いだ先がたまたま旅館だった。それなのにどうしてそんなに頑張れるのですか?」
そう問われたことがあります。
「え?頑張ってる?ワタシ?」という感じでした。
だってそんな風に考えたことがなかったから。
自分には向いてないと凹むことはあっても
仕事そのものがイヤということは一度もなかった。
高校一年生で初めてアルバイトをしてから
働くことはごく日常のこととして生活の一部になっていました。
お蕎麦屋さん、ファーストフード店では数年間、
単発のアルバイトも覚えていないくらいしました。
独立資金を貯める生意気な高校生でしたので貯蓄は好きでした(笑)が
単純に働くことそのものが好きだったなーと回顧。
なぜ好きだったのか?
考えてみると自営業をしていた父は
正月の三が日以外は朝から晩までほとんど休むことなく働く人でした。
そしてとても楽しそうに
人のために仕事をしているのが幼心にもわかりました。
小学生のころ、仕事場に立ち寄ると
高らかな歌声で父の居場所がすぐわかるほど。(ボランティアで詩吟の先生をしていましたので)
働くことって楽しいのだ!
和やかな空気が流れていて
そんな姿を見てきた影響かもしれません。
生きるためには食べなければならない、食べるためには稼がなければならない、そのためには仕事をしなければならない
この「しなければ」の繰り返しが、大人の言うところの「生活」だ。
しなければならなくてする生活、生きなければならなくて生きる人生なんかが、どうして楽しいものであるだろう。
(池田晶子(14歳からの哲学))
しなければならなくて仕事をしている人は人生の大半を損していると思っています。
しなければ、の感情は周囲にも大いに悪影響を与えます。
なぜならそこに主体性がないということは
起こり得るすべてのことを容易に他者のせいにすることができるから。
働くことは自分の人生の一部なのに
主導権を握っているのは他者になってしまうなんて
これは不幸以外の何物でもない。
先日、ネットの口コミに悪評が書き込まれました。
100 - 1 = 0
この業界でよく言われることです。
お料理よし、温泉よし、接客よし
そんな評価だったのに最後の最後で残念な結末となりました。
お客さまには心から申し訳なく思っていますし
正直ガックリもしました。
でもそのスタッフを責められないんです。
なぜなら
いつもさぼらず楽することなく誰に見られなくとも仕事を探してはコツコツと作業してくれているのをみんなが知っているから。
それは働くことが好きだからに他ならない。
今回は言葉選びが悪くてお客さまに不快感を与えて大いに叱られたけれど
きっとそのときも必死だったのだろう。
↑ と全社員が思っている。
誰しも成績表はオール5を取れない。
けど頑張りを評価することってきっと大事。
足りない部分をフォローし感謝しあい
楽しく仕事できる環境こそが理想です。
今日は次男坊のテニスの試合がすぐご近所であったので
こんなに近くでするなんて滅多にない!ということで応援に行ってきました。
お昼ご飯にリクエストの素麺を持って。笑
結果は2回戦敗退。
でもさ。
声は会場イチ出てた!
そしてその声は周囲を笑わせ元気を与えていた!(笑)
それだけは誰にも負けていないので良しとしよう。
試合には関係ないけど(*´꒳`*)
あー連休が明日で終わる!
お腹減ったーー。
脱力感とともにカンパイ!しようっと!
ではでは。
皆さまもお疲れさまでした!